2017年5月20日土曜日

花田春兆 様

今日も昨日も本当によく晴れました。

昨日は、早めに伺わせていただいて、失礼いたしました。いろいろ考えると、どうしても約束の時間より早く行った方が、いいように思ってしまったのです。前もってお電話して、周りを考えての判断のつもりでしたが、もしかしたら私本位な行動だったのかもしれません。

初めてお会いしたのは、某企業が主催した障害者リーダー育成のための研修旅行でした。

私は英語力がないので、毎年行われる障害者リーダー養成のための留学試験に、落ちるばかりでした。
その事業の10年の節目に、2週間の研修旅行に選抜してもらい、参加しました。
貴方はその時の団長でした。
その前にもしかしたら、「折れたクレヨン」などを読んでいたかもしれません。

研修旅行の後、何回か詩の勉強会に通ったことを覚えています。終わった後だったか、始まる前だったか、マックのポテトのエルサイズを買って食べられていて、いつも少し分けていただいていたように思います。

私はそのあと実家を離れ、ピアカウンセラーとして活動が始まり、思わぬところで違う形でのご縁がありましたが、なぜだか、風の便りにお話を伺うことが多くなりました。

昨日伺ったときに、友人というところに丸をつけさせていただきましたが、私にとって先生は、文学家であり、俳人であり、文章表現についての心の師でありました。

最後のお別れの日に快晴の二日間を残して、私のように時間より早く伺った者にも、暖かく受け入れていただきました。

著作を読み返し、勉強しようと思います。
ありがとうございました。
ゆっくり休まれて、今生のお疲れを癒されますように、心からお祈り申し上げます。

2017年5月14日日曜日

東京YWCA肢体不自由者水泳60周年

東京YWCAのプールのスクールに行き始めて、個人的には10年になりますが、60周年の茶話会があり、参加させていただきました。

60年前に肢体不自由者の水泳をレクリエーションとして取り組むところは少なく、多くのことがありながら今があるのだなあと、実感したひとときでした。

私は自分の人生まだ50年ちょいで、この活動の歴史よりも若いんだなあと。
当時の手作りの浮き袋などをみて、全部作ったというお話を聞き、その歴史に支えられて今があるということを感じたのでした。

水泳をレクリエーションとして楽しめるということはとても楽しく、40歳になるまで知らなかったことにちょっと残念な気持ちもありましたが、今続けて行けることはありがたいことだと思います。

そして歩みが遅くても受け入れられ、一緒に取り組んでもらえることに、感謝しています。

水は怖いけれど、楽しい。背浮きができる日が来なかったとしても、水の中で動けることを支えてもらえるということに、本当に貴重な時間を毎回いただいていると思うのです。

歴史を知ることは、大切なことだと実感した時間でもありました。

2017年5月9日火曜日

表参道駅の写真展

表参道駅構内で、写真展をやっていることを知り、行ってきました。



https://mainichi.jp/articles/20170508/k00/00e/040/159000c


大きなパネルで、表情が自然で、その人の人生を感じるものでした。
個人の情報がない分、一人一人と見つめあったような、そして個性を感じたような、印象を受けました。

そうやって個性的な私たちが、日々を歩いていくんだなあ、と感じました。
こんな表情を人に見せながら、生きていきたいと感じました。

14日の母の日まで、開催されています。
青山通り沿いにある、表参道駅エレベーターを降りると、すぐ正面に展示されています。

2017年5月7日日曜日

ゴールデンウィーク

久しぶりに連休らしい連休を送ってしまいました。

4月の終わりに海を見に。知人と館山に。
ただただ海の近くを歩いて、潮風にあたり、波の音を聞いてきました。あと、多分一生分のウグイスの鳴き声。谷渡りまでしっかり聞けて、嬉しかったです。

今住んでいるところは、さすがにウグイスの鳴き声は聴こえません。

5月の連休は、部屋の模様替えと小物整理に勤しみました。年明けにいただいたギフト券は、新しいカーテンに化けました。(ありがとうね)

個人的なことになりますが、今回出かけて見て気が付いたことは、慣れない場所に行くと少しの段差でも体がなかなか適応しないということ。
自分ちを離れて一晩過ごしたのも3年ぶり。少し自分の家に引きこもり過ぎました。

一応、もそもそと日々身体を動かしているつもりだったけれど、数年前の適応力は望めないのだということがわかったのでした。

体も適度の刺激が必要みたいです。

それから、もう一つわかったことは、今住んでいる家の、ことに寝室は、めちゃ寒いということ。

体の冷えが慢性化している原因は、寝室の状態なのかもとやっと自覚したのでした。
なので、夏間近の今から、冬の寝床のことを考え始めています。

そして最終日の今日は、入院している友人のお見舞いに。
そのあと、昭島に住んでいるときによく行った、昭和記念公園を少しだけ歩いて来ました。

いつも昭島口から出入りしていたので、立川口は見慣れないものが多く、少し残念でしたが、それでもシロツメグサは咲いていたし、木々の若葉は綺麗で、幸せでした。

この期間に気が付いたことは、上記のイベントとは全然関係なくて(^ ^)

説明したことを理解されなかったり、受け流されたり、勘違いされたまま何かを行動されると、された方はとても悲しいということ。
これは私自身が人様にして来たことなんだなあと。こんなに悲しく、嫌な思いをさせていたんだなあと。
自分が悲しかったその思いを、他の誰かが感じているんだということに気づいたのでした。私も物事に対して、勘違いが多いし、人に伝えて初めてそれに気がつくことがとても多いから。今回感じたこの想いと似たような感覚を、誰かに与えて来たように思ったのです。

最近も少し勘違いをする確率があがっているので、物事を丁寧に見て、少しでもその人の気持ちを汲めるようになりたいなあと思いました。


そして、エゴイズムはとてもしぶといということ。
言い負かしたい、勝ちたい、とつい思ってしまいます。
これはまだまだ、自分が正しいと何処かで思っているし、そのときに起きたある出来事にとても刺激を受けてしまっています。
エゴイズムとは戦ってはいけない、ということを知識で分かっていても、ではいざ刺激されてしまったときにどうするか、その場での対処はとても難しい。
刺激は波のようにやまないから。
どんな時でも静かに息をするって、これも日々の努力かなあ。いつかできるようになりたいけれど。

視野を広げて物事を捉えることは、本当に難しいです。



思えばこの連休に入る少し前から、友人と会う時間があったりして、この二週間はとてもいい時間でした。
明日からはまたいつものスケジュール。ゴールデンウイークさん、さよなら。また来年。





2017年4月20日木曜日

ごじゃっぺ

【ごじゃっぺ、ごじゃ、ごじゃらっぺ】 ごじゃっぺ、ごじゃ、ごじゃらっぺ
いい加減、ばか、どじ、間抜け、などの否定的表現全般に使用。茨城弁の基本中の基本。「ごじゃ満開」などという言い方も存在するが、ごじゃの最上級なのか、ごちゃごちゃな状態を指すのか、いまいち不明。
例)「あすこのわけしはごじゃっぺだちけ」→あそこの息子は間抜けらしい
例)あんまりごじゃっぺなごとばっかぬかしてんじゃねえよ→あんまりいい加減なことばっかり言うんじゃない ーーーーweblio 辞書より

私は昔から「ごじゃっぺ」なところがあります。
本当は理解していないのに、分かったと思ってしまうんです。今でもその癖は治っていません。
新聞を読んでいても、読んだ後、なにが書いてあったかさえ記憶になかったり、その癖世界情勢をわかった気になってしまったり。
トルコの国民投票も、フランスの大統領選も、韓国の情勢も、気になることはたくさんあるのに、きっと言語化はできない、それほど理解力が私の頭の中で進んでいないと思います。


昔、肢体不自由児施設の夏(か冬?)休みの帰省中、家族で麻雀をして遊んだ記憶があります。
その時も、上がりだと思ってみんなに自分のパイを見てもらったら、全然上がりでもなんでもなくて。
「ごじゃっべだったね」
と言われてとても恥ずかしく、でもそこから反省して覚えようとも思えなくて、麻雀遊びからも遠のいてしまいました。

それから長い年月が流れて、スピリチュアルについて学ぶことを選び、元々その世界を特別視して捉えていた私の意識を叩き直すことになりました。
誤解を解くというか、ほんわかキラキラの世界から脱していくというか。
誰かが助けてくれるとか、癒されるとか、そういう意識を捨てるというか。

それでもつい最近、勉強してきたことをものすごく誤解して捉えていたことがわかり、しかもあまり自分が理解していないことも明確になって、すごくへたれました。
「ごじゃっべ」だったんです。

でも麻雀の時のように逃れて終わりするわけにはいかず、もう一度学び直すことにしました。

自分の捉え方を間違うと、本当になにも覚えられません。学んできたことがふいになってしまいます。

「ごじゃっぺ」な自分を自覚したら、すこし力を抜いて物事に向かえるようになりました。
わかったふりをしたくなる自分に構うことなく、何度でも理解しようと努力すること。私のような性格を持つ者にとっては忘れてはいけないことだと思います。

昔は何者かになりたかった自分、でも何者かになる前に、何者であるかを知ることは本当に大切なことなんだなと思います。
そして今持たされているもの、与えられているものを理解することの方が、何者かになることよりもずっと大事なことなんだと感じています。

2017年4月14日金曜日

嫉妬深さ

プログのデザインなど、いろいろいじくり回していたら、いつのまにかリンクの部分が非表示になっていました。最近はスマホなどでの読みやすさを優先するデザインが多いみたいで、PCでの全体のデザインが気になる身としては、少し違和感があります。

確かに読みやすさは大事ですね。悩みどころです。

知人からのあるリクエストに答えていたら、ブログに私の文章しか載っていないことに気がついて、元々あったリンク欄を復活させました。

ブログのレイアウトについては、もうしばらく試行錯誤が続きそうです。

本題は、嫉妬深さについて。
結構小さいことで、すぐジェラシーを感じている自分がいます。

今日も、ある小さなことで、自分の中の嫉妬深さを感じました。


まるで、恋人が他の女性と仲良くしているのを見てショックを受けている、若い時のよう。
すぐにその気持ちは心にやってきて、もやもやとさせます。

こういう時は少し視野を広げて、そうだ、私だけがその人の友達ではなかった、ということを思い出します。
そんなこと当たり前ですよね。でもこの当たり前の簡単なことが、私は意識的にしないとうまくいかない。心が揺れてしまうのです。

心を占領してしまう自分勝手な欲望を、私欲(エゴイズム)と習いました。
この想いと離れるには、その思いがどこから来るのか知り、理解することが大切です。

私は性格的に臆病で依存的なところがあるので、人に期待しやすい性質があります。そして自己を中心に物事を考えてしまいます。

他者がどう考えて私と接してくれているのか、そこを考えることを忘れてしまうのです。


今日はそこに立ち返ることができたので、湧き上がってきた嫉妬深い気持ちから離れられました。

エゴイズムは自分が作るネガティブな思いのかたまりのようなものなのですが、一度作ってしまうと二度となくならないそうです。ですから消してしまおうと戦ってはいけないと言われています。

自分の作ってしまった感情とは戦わず、前向きな心を育てて行くこと。
視野を広げて、良いところ(美徳)を育てて行くこと。

これが本当に、ここにはいくらでも偉そうに書けるけれど、難しいです。
今日は振り返ることができて、良かったけれども。

つまづきそうになっても、自分と向き合い、自己点検していくしかないのですけれども。



2017年4月13日木曜日

ムーンライト

今月は木曜日の予定がないので、映画をみてきました。

ムーンライト
http://moonlight-movie.jp/index.html

感じたことは、
どうにもならないほどの気持ちを抱きながら生きて行くことの辛さが伝わってきたのと、
最後のシーンを見終わって、少しでも救われてほしいと、見終わった自分が思っていたこと。

自分を見つけて行くことは本当に困難なんだということ。

闇の部分はとても引力が強くて、引っ張られてしまうということを表しているような
気がしました。闇に勝って行くということはどういうことなんだろうと。自分ではどうにもならないように思える環境の中で、闇に勝つということはどういうことだろうと思ったのです。


自分が誰かに確かめたいと思う時期には確かめられるような人はいなくて、それでもその存在を求めてしまうのが若い心なのか、弱い部分なのか。映画を見ながら、切なくて言い知れなく怖くて、すこし目を伏せていた部分があったように思います。

「あなたが愛を必要としていたときに、私はあなたに愛を与えなかった。だから私を愛さなくてもいい。でも私はあなたを愛している。そのことだけは知っておいてちょうだい」

映画のストーリーよりも、今なぜかこの言葉を覚えています。

プログの題名を変えました。

思うところがあり、私ごとですがブログの題名を変えて、気まぐれだった内容を少し意識的に考えてみようかと思い立ちました。
と言いながら大きな変化はないような気がしますが。

気がついたことって、書き留めないと忘れてしまいそうで、今はそれを中心に書いてみたいなと思ったのが変更のきっかけです。
だからといって、日々のことを日記のように思うがままに書いても、個人的なことをどこまで読んでいただくかということもあるなあとの思いもあって。。

遠隔ヒーリングルームを始めてから、少しブログをカッコつけて書こうとしていたところもあったので、それはやめようと心を改めました。
書きたいことも書けないし、書けないのに書こうとしていたりしていたし。

最近、以前よりも気がつくことが増えたのはいいのですが、気づきをどんなふうに考えて生活していけばいいか、そこまでの考えに至らないことも多いことが気になっていました。この場に書くことで見つけられることがあるといいなあと思ったりしたのです。

なにも変わらなかったりして(><)。
書いてみなければ、私にはまだわからないから、やってみます。

読みやすいものになるといいけれど、性格が変わったわけではないので、そこのところは難しいです。
いつも読んでくださって感謝です。これからも乱文ですが、お付き合いください。

やさしい味

食べることがとても好きなせいか、作ってもらう時も外で食べる時も、美味しいものを食べたいと思ってます。
特別高いものが欲しいわけではなく、ただ美味しいものをいただきたいと意識しているだけ。無農薬にこだわってもいないし、産地にもこだわっていません。
ただ、野菜は八百屋さんで、お肉はお肉屋さんで、魚は魚屋さんで買いたいと思っています。
今は時間があるし、介助の方もこの生活に付き合ってくださるので、スーパーだけでなくいろんなお店に行くことが叶っています。

先日、知人からご自宅で育てられたという絹さやをいただいて、朝ごはんにさっとゆでてもらいました。
一口食べたら、とても甘くて、栄養が口の中にはじけるよう。ばりばり食べてしまいました。
食べながら、毎日世話を欠かさない知人の姿が浮かんでくるような気がしました。優しさだけを込めて育てているんだなあと。
個人宅での栽培なのでそんなに多くは収穫できないものを、分けていただいたのですが、貴重なものをいただいたと思いました。

私は自分の手で調理することも、食材になるものを育てることも今回の人生では実体験できませんが(介助の方やどなたかに頼むことはできますが)、毎日どなたかの食べ物に込められたものごといただいているのだと実感しました。美味しいと心から感じる時、食材が新鮮とか、物理的なものだけではなく、誰かの愛情が入っていることを意識しないとなと思いました。

毎日美味しいものがいただけるということは、毎日いろんな人からの思いを受けとっていることなのかも知れません。

野菜もお肉もお豆腐もお米もパンも、毎日いただくものですが、作った人の気持ちが実感できたのは初めてでした。本当に甘くて、濃くて優しい味でした。
栄養をめいいっぱいいただいた、昨日の朝食でした。

2017年4月5日水曜日

We Are X

X japan の映画を、縁あって観てきました。

ファンと言ってもカラオケで歌ったり、2枚組のCDをひとつだけ持っている程度だったのですが、映画を見てほんとになにも知らないままのにわかファンでしかなかった自分に気がつきました。

なぜYoshikiが独特の詩を書くのか、そうなのか…と自分なりの想像が湧いてきたり。
築地本願寺になぜHideのコーナーがあるのか、謎が解けたり。

にわかファンなのにファンと言っていて申し訳ない。

でも観てよかったと思っています。

あまり激しい音楽は好みでないのに、なぜこの方々のの音楽に魅かれるのか、自分の中の謎ですが、
怒りと悲しみの塊のようなものが音楽となって吹き出していくようにも思うし、生々しくそこにあるようにも感じます。
決して癒えないものがそこにあるように思います。
そこが共感を誘うのかな…。

映画にはもっと音楽を入れて欲しかったけれど、それだときっと高くなるよね。
今日は運良くレディースデーだったし( ◠‿◠ )

2017年4月4日火曜日

明け方の夢

明け方に目覚めた後二度寝をすると、夢を見ることが多いです。
今朝は少し変な夢でした。

久しぶりに会った知人は、ドレスアップしてきましたが、私は彼女がドレスを脱ぎにいく後姿でそのことにようやく気がつきました。「ドレス着ていたね」というと、「誰も気がついてくれなかった」と彼女は答えました。
今回の彼女に頼んだ仕事時間を確認すると、早く帰る予定だといいます。早く帰るなら現地解散になると伝えると、それでいいとのこと。時間が短くなり寂しかったのですが、彼女はそうでもない様子。
一緒にイベントに参加しました。この部分は、あまり覚えていません。
終了した後、場面が変わり、男性たちが話していました。とても怪しげな話でした。
横から作業服を着た違う男性の集団が、さっとそこの人たちの耳元で囁き、事実をよくない方へ塗り替えていきました。その集団はさっきイベントに参加した時も、目立たぬようにいたような気がしました。

よくない記憶も塗り替えられていくことがあるんだと思わせるような夢でした。自分の意識ははっきり保つ必要があるのだと思いました。

花田春兆 様

今日も昨日も本当によく晴れました。 昨日は、早めに伺わせていただいて、失礼いたしました。いろいろ考えると、どうしても約束の時間より早く行った方が、いいように思ってしまったのです。前もってお電話して、周りを考えての判断のつもりでしたが、もしかしたら私本位な行動だったのかもしれま...