まだまだ未成熟だけれども…
…生まれ持ったすべてのこだわりから解放される日など、来るかどうかわからないという意味で未成熟と表現しました…
あるこだわりから離れられた日がありました。
人並みに愛されたい、人並みに認められたいという、
のどの奥、胸の奥まで乾いていくような
いつも私は、言いしれぬ大きなくらい寂しさを抱いて生きてきました。
この地上で、いつも一人で歩いているような不安。
誰も味方がいないような、人の眼ばかりが気になるような。
知人はたくさんいるのに、満足できない、いつも孤独な私。
人のために何かをしたいとか
私にもできる仕事があるはずとか
何かを見つけたいと思う心の裏には、私にだって一人前にできることがあると言うことを認めて欲しかったのです
そして無条件に受け入れて欲しかったのです
誰に?
障害を持つ体で生まれて、生きていくことは。決して不幸なことでもかわいそうなことでもないと、
心から認めて私にそのメッセージを伝えて欲しかったのです。
かあさん とうさん
認めて欲しいから、新しい彼氏ができると真っ先に報告し、人並みに幸せになれると実証しようとしました。
仕事はとても大好きで、身を粉にして働きました。
そう、ふたりのの手を借りなくても、私は一人前にいきていけるの…幸せにいきていけるの…と猛烈にアピールしていました。
孤独から抜けることができなかったのは、
私が求めていたものは人との真のつながりだったから
なにかができるから認めてもらえる関係ではなくて、何もできないままの私でもいいと思って欲しかったから
かあさん とうさん
ふたりの価値観としてではなく、私の価値観の基準で認めてもらうことを
ずっと私は望んで生きて来たのです。
「もう認めてもらわなくてもいいじゃない」
ある日、ヒーラーの人は私に言いました。
「誰が認めていたって認めていなくたって、あなたがここまで生きてきたことには変わりはないのだから。もう誰かに認めてもらいたいなんて、思わないでいいんじゃない」
この日、本当につい最近のことですが、私の心は親離れをしました。
人が人をすべて受け入れることなどできない。誰であっても同じこと。
私はゆっくりゆっくり、小さいとき自分が得られなかったと思っていることから、距離をとっていきました。
そして、普通に生きてきた20代の若者が、突然障害を持った子どもを授かったとしたら、と想像していったのでした。
私の言いしれぬ寂しさは、まだほんの少し奥の方に残っているような気がします。
自分と向き合う作業は、例えヒーリングエネルギーを流しても、時間がかかることなのです。
向き合うか向き合わないかを決めるのは自分なのですから。