夕飯時、私の妹たちが全員そろってごはんの支度をしていました。
パソコンのわきには炊飯器が置いてあり、あけると真っ白なごはん
「どんなに悩んでも、美味しいごはんが食べられる」
そんなことばが浮かんだ瞬間にめがさめました。
ここ2年あまり、揺らいでいた「生きる意味」のようなもの。
震災のあとあたりから感じていた不安、
生活保護に対する社会的なざわめきが心に残したもの、
それは「制度を活用して生きていくこと、人の支えのなかで生きる
誰に話しても納得のいかない心がありました。
その日のの夢は、その納得のいかない部分の答えのように思えました。
「どんなに悩んでも、美味しいごはんが食べられる」
のことばの意味は、
「誰もが(私も)、生きていくために必要な糧は考えて得ている」
ということであり、妹たちが全員登場したのは、
「私が生き抜くことで、安心して暮らせる人たちがいることを忘れ
と言うことを教えてくれたような気がしました。
1日1日ごはんを食べられること、気持ちよくせいかつできること
もしそれが今叶っているととしたら、誰にとってもそれは奇跡だし
人として、この環境があたりまえと思わないことは必要だけれど、
美味しいごはんを食べればいい(楽しいことをすればいい)。
夢の解釈は自己流ですが、私なりに自然と答えが出せたことはよか