昨日、久しぶりに通りがかりの方に頼んで、自販機から飲み物を買いました。
その場所であえて買わなくても、自宅に帰れば何かしら飲めたでしょうし、カフェに入れば苦労なく好きなものを口にすることができたでしょう。
誰かに飲み物を買うことを手伝ってもらっても、次の動作も誰かに頼むことが必要でした。
今回私が買ったのは、小さな瓶の微炭酸。
「ふたをひねっておいていただけますか」
自販機の操作を手伝って下さった女性は、ふたつめの私の依頼も快く引き受けてくれました。
「いったんあけて、軽く閉めておきますね」
軽く締めておいてもらったので中身こそでなかったものの、この瓶の飲み物は右手で持つにはすべりやすく、両手でもなかなか安定してもつことができませんでした。
もものあいだに瓶をはさめばきき手が空くので、バッグのストローは取ることができそうでした。
でもふたを片手で開けてストローを差し、口のそばまで瓶を持ち上げることはできそうもありませんでした。
普段介助の方がそばにいて下さることで難なく解決している、小さなことでしたが、ちょっと考えることが必要になりました。
そのときふと20数年前の友人Sさんの姿を想い出しました。
「たまに、自販機で自分でジュースを買いたくなるんだよ」
思い出のなかの彼は、変わらず笑みを浮かべていました。
「自分でジュースが買えるかどうか、試してみたくなるんだ。買えることを確かめられるとうれしいよ」
彼の手の中に、250ccの炭酸飲料が確実におさまっていたことをいまでも覚えています。
筋肉の障害を持つ彼にとって、その動作はとても気を遣わなければ出来ないものだったのです。
私がそんなことをうっすら考えながら、きき手で瓶を握り、マヒの強い右手でふたを開けようと苦心していると、
「ふた、あけましょうか」
Sさん、多くの方に助けられて、私は思いのままに生き続けています。
このときも、私は無事に、飲みたかったものを飲み干しました。