2014年6月14日土曜日

それでも人生にイエスという メモ

上記の本を読みました。
夜と霧 という本も読みたかったんですが、貸し出ししていないみたいで。あとでもう一度探してみようと思っています。


「人生は絶えず、意味を実現するなんらの可能性を提供しています。ですから、どんなときでも、生きる意味があるかどうかは、その人の自由選択にゆだねられています」

『生きるとは、とわれていること、答えること
ーー自分自身の人生に責任を持つことでである。」

『ですから、生は今や、与えられたものではなく、課せられたもののように思われます。生きることはいつも課せられた仕事なのです。このことだけからも、生きることは、困難になればなるほど、意味あるものになる可能性があることはあきらかです。」

「そもそも、愛は功績ではなく、恵みなのです。それで、愛を通っていくことによって、『恵みの道で』、他の場合には働いて得なければならないもの、活動によって手に入れなければならないものが与えられるのです。つまりそれぞれが唯一であり1回きりであると言うことが実現されるのです。」

「彼は、活動的でやりがいのある職業生活を送っている最中でした。多忙な広告デザイナーだったのです。ーー略ーー腫瘍のせいで、すぐに手足がマヒ状態になりました。そこで、彼はもう、それまで主として自分の人生を意味のあるものにしてきた活動的な生活という方向を維持することが出来なくなりました。ーー略ーー
 病院で横になっているとき、彼は猛烈に読書に取り組みました。ーー略ーー せっせと音楽を聴き、他の患者さんのひとりひとりと活発に会話を交わしました。ーー略ーー 
 ところが、それから病気が進行して、もう書物を手にすることも出来なくなるときが来ました。それほど筋力が衰えたのです。そのときには、もはやヘッドホーンの重みにも得られませんでした。ーー略ーー その患者さんは、自分の命がもう長くないことを、それどころかあと数時間しかないことをまったく正確に知っていました。ーー略ーー ベッドのそばを通りかかったとき、彼は合図して私を呼び寄せました。そして話すのに苦労しながらこう伝えました。午前の病院長の回診の時に聞いて知ったのだが、G教授が、死ぬ直前の苦痛を和らげるため、死ぬ数時間前に私にモルヒネを注射するように指示したんです。だから、今夜で私は『おしまい』だと思う、それで、いまのうちに、この回診の際に注射を済ましておいて下さい、そうすればあなたもしく直の看護婦に呼ばれてわざわざ私のために安眠を妨げられずにすむでしょうから、と。このようにして、この人は人生の最後の数時間でもまだ、周りの人を『妨げ』ずにいたわろうと気を配っていたのです。」
            (いずれも「それでも人生にイエスという 春秋社」から抜粋)
この本を読んでいると、瞬間瞬間、大切に生きたいという気持ちがわいてきます。好きな箇所をメモしました。
 さりげないけれども、人間らしい業績。できればそういうものを残して生きられる人間になってみたいです。

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