2014年7月31日木曜日

生まれたときから

今、とても長い文章を書き始めています。小説なのか童話なのかわからない、相変わらずのものです。
何人かの人に書きかけのものを読んでもらい、意見をもらったりしています。

「何歳頃に施設に入ったの?」

現段階の文章を読んでくれた友人からの質問でした。

学校にあがる前に、3歳から4歳、5歳から6歳と一年ずつ併せて2年間施設に入っていたことを告げると、納得したような感じでした。

「人の気持ちを考えるようにうながすことは、一歳から始まっているんだよね」
友人は、もうすぐ2歳になる娘さんのことを思い浮かべながら、話してくれました。
「だって、ありがとう、とか、ごめんなさい、ということばは、そのための言葉だから」
「そうか…」
「うん。こんなことしたら、相手はどう感じると思う? 、という働きかけは、一歳から始まるんだよ。」

そうか、そうなんだ…ってとってもはずかしいけれど、そんな自覚も持てていなかったことがわかりました。
ああ、そうなんだ。赤ちゃんの時から、人は人の気持ちを考えながら生きるようにとうながされて生きるんだなあ。
私が施設時代に気付かなければいけなかったことは、ここのところでした。
その後の人生でも、そこを最初に考えられなければいけなかったんですね。

充分気が付けるだけのチャンスがある時間だったはず。いろんなことがあったんだもの。
誰かのせいにする前に、受け身で生きる代わりに、私にはすることがあったのでした。

一歳から始まる、考えること。
他人の心を思いはかること。

私に足りないのはそこのところ。

ここの部分がわからないということは、人の心を思い測れないということなので、自分の役割も見えないということになるし、幸せの半分を体験できないということになりますでしょうか。

友人の言葉にはっとしました。
孤独というものは、ここから来ているような気がしたのでした。

2014年7月29日火曜日

明け方の夢

明け方、2つの夢を見た。

ひとつは友人の夢。
友人が彼女と一緒にいる。彼女は髪が長くて、金髪で、友人よりも若い人。可愛い笑顔だった。彼女は楽しそうだったけれど、どんよりとした天気のなか、橋のたもとで友人は憂鬱そうな顔をしていた。
ここに書くまで、彼女がそばにいて幸せならよかったなあ、と漠然と思っていたのだけれど、書いてみてすこし友人のことが気がかりになった。

もうひとつは自分の歯の夢。
マウスピースの内側で、歯が真っ黒な虫歯になっていた。やっちゃった、と思ったところで目が醒めた。

この前の虫の夢といい、ちゃんとケアしなさい、というようなことかな、と思う。
連日、夢を見るのもめずらしい。

昨日今日と暑さが和らいでいくぶん楽に過ごせる。明日も調子いいといいな。

2014年7月28日月曜日

この間の夢

うちの中に小さな小さなアリが出現した話を書きましたが、
数日前に、
小さなアリがけっこうたくさん床に出現している、という夢を見ました。
アリの他にもコメツキムシとかそういう黒い虫がたくさん。ゴキちゃんはいなかったけれども。
殺虫剤をまかないと、と思っていたら、朝の介助の人が来て、目が醒めました。

ちょっとよけいなものが心にあるのかな、捨てないとな、と思いました。

2014年7月26日土曜日

お祭り。

今日は中板橋周辺はお祭り日和。
大山で友人と遊んだあと、初めてへそまつりを間近で見ました。

中板は板橋のまん中だそうで、へそまつりは今年で19回目だそうです。
おへそを中心におなか全体に顔を描いて、ご当地の民謡に併せて踊る祭り。
大きな傘で頭を隠すので、踊りにくそうでした。

家の近くの小学校では盆踊り大会が。
久しぶりにオバキュー音頭を聞きました。

お祭りのはしご。今日はお遊びの日だったので、はしごでちょうどいい時間配分でした。

お祭りは、地域に知り合いができていた方が楽しいかも。来年はそれを目指そう、なんて思いました。

寝苦しい夜。保冷剤を布の袋にたくさん入れて、顔に当てて楽しんでいます。

2014年7月23日水曜日

立ち止まる

なんのために、生きてきたのか、と書くと大げさになってしまいますが、
50歳を目の前にして、なんだか、ここまで生きてきた意味がわからなくなって,立ち止まっています。

私の行動ひとつひとつが、あやうくなって、どう整理したらいいか。
今が踏ん張り時のような感じです。

何回か書いたようにも思うのですが、以前の私は
「障害を持っていてもあたりまえに暮らす」
ということを目的に生きてきました。
どういうことかというと、できる限りふつうに過ごすと言うことです。
生活について、ひとりで暮らし、仕事を持って、私なりの家族をつくり、家庭を大事にして、仕事を生き甲斐に生きること。
こどもは欲しいとは思いませんでしたが、いっしょに生活を分かち合える人には巡り会いたいと思っていました。

私には欠けていたものがありました。
なぜ仕事がしたいのか、
なぜ家族が欲しいのか、
ということへの理由です。

社会の役に立ちたい、という、仕事に対しての正当な理由の奥には、
「私もいい仕事ができるということを社会に認めさせたい」
という気持ちがあったようなのです。

家族を持ちたい、自分の家庭を大事にしたい、という思いのうらにも、同じように気持ちがあったように感じています。
誰を大切にしたいか、という中身がなかったのです。

ものごとは形式でなく、本質の中にしか大切なものはなく、私にはそれがわかりませんでした。

人は、私にとっていつも「不在」だったのかも知れません。

私は誰かのために働きたかったのではなかった。
これは自分の心の中のこととはいえ、衝撃的でした。

私が今まで感じていた生きる目的は、私の不満を満たすためのものだったのでした。

それが壊れてしまった今、自分が何をしたら満たされていくのか、手探り状態になりました。

愛されたいという、愛されていると実感したいという、内なるものの存在はわかります。
そのために、たぶん生きてきたのです。

そのために求め続けて、間違えて来たのです。

人から愛される事を求め続けると言うことは、受け身であると言うこと。つまりこどものままで、成長できていなかったと言うことです。

人を愛していけるのか、今私が毎日生活の中で起こしていることは、愛がこもっているのかどうなのか。
わからなくても、どうであっても、やってみるしか道はない。
間違えているとおもったらやり直すしかなく、どうしようがなくてもいただいたいのちをまっとうすることが、最低限私が果たすことのできる責任です。

戦争のないこんなに恵まれた環境の中で、何不自由なく自立生活を続けられ、考える時間が与えられています。
戸惑っていても、正しい判断ができていなくても、ひとつひとつ考えて、やってみるしか方法はなく、そのように今生きられることに、私はもっと感謝の気持ちを持つ必要があるのでしょう。

私にもっと必要なのは、人に対する『おそれ』であり、それが謙虚な気持ちを生むのだと思います。
おそれとは怖がるという意味ではなく、謙虚になるという意味合いです。
それは、普段御世話になっている方々が、それとなく態度で私にみせて下さっています。謙虚さのない態度がどんな印象を与えるかも、見せてくれる人がいます。
きっと私もさんざん、こんな思いを人にさせてきたのかも知れません。

感じない心を感じるように鍛えることも、感じすぎる心を感じすぎないように鍛えるのも、私には難しいことですが、

やらないと。もう半世紀生きてきたことになってしまうのだから。
やり残しがないように。
ああ、でもできるかな、ずっとできなかったことなのにな…。

経験したままでなく

経験したままにしないで、経験を積み重ねる。。

これが、今まで私ができていなかったことみたいなのです。

たくさんたくさん経験してきたのに、そのことについて考えていなかった、ということでしょうか。
考えると言うことは、どういうことなのでしょう。
経験を考えると言うこと。

客観的にその出来事を見て、それがなぜ起きたか、何をする必要があったのか、その時にとった行動はベストだったのか。
そのことを思うことなのでしょうか。

思考とは、思いを考えること……と書くけれど、

ひとつひとつ、経験を思い出したら、そのことについて考えてみようと思っています。
でもこのブログには書けないな…。難しくて。
自分さえわかっていないのに。

2014年7月16日水曜日

室内での生活

3ヶ月ほど、自宅での生活に簡易電動を使ってみました。
畳にカーペットを敷いて、テーブルで食事する生活です。

関係するのかしないのか、緊張の強い右の肩から下がひどく痛むようになりました。
体調も関係しますが、いくぶん緊張が強くなった気も。
ごはんも食べにくくなってきていました。

それで、昨日からちゃぶ台生活にしています。

トンボ座りをするといくぶん腕が安定するので、少し力が抜けています。
こんなことってあるんですね。
私はぜったい車いす生活の方が楽だと思ったのに。

脳性まひは不思議。
わからないことが多いです。

2014年7月10日木曜日

ディア ドクター

最近観た映画です。

あまり書くと、ストーリーになってしまいそう。人の心の弱さが冷たく感じる、そして鶴瓶さんがあったかく人間らしく感じる作品でした。

最近は邦画をつい見てしまいますね。どうしても邦画の方が好きです。

2014年7月8日火曜日

すいかともも

商店街には掘り出し物が多く、日々顔を出すといろいろいいものを見つけます。
今年は結局梅を3キロつけたのですが、だいたい一キロ150から300円で買っていました。
今日はさすがにもう梅はなく、今年はこれで終わりです。

その代わり今日は熟れた桃を3個200円でゲット。

スイカ好きの友人用に昨日買っておいた小玉スイカもお手頃価格で購入。

おかげさまでスイカも桃もうんまかった!
すいかは、喜ばれました。

安くておいしいものはありがたいです。

梅、もう少し欲張ってつけておけばよかったな。
次は何をつけましょう。ピクルスかな、簡単なのは。

2014年7月6日日曜日

クチナシの花

文京区にある放送大学の学習センターには、門を入るとクチナシとジンチョウゲが植えてあります。
どちらもいい香りで私は好きですが、今はクチナシが咲いて、風に乗っていい香りが楽しめます。
目的を達成し、もう来なくなると思うと、少し寂しい気もします。

先日、大学の前を歩いていたら、5年ぶりに知人と出会い、思わず手を取ってさわいでしまいました。
その方も学生さんで、マイペースで勉学を楽しんでいるようです。
もともとは介助というかたちで出会いましたが、いろんな経験をされている方で、同じ大学だと知ったときは「どこかで会えるかも」と少し期待をしていました。
今回、めぐり逢えて本当に嬉しいです。

大学という共通のことでの思い出といえば、職場で一緒に働いていた方が先輩だったとわかったときも嬉しかったです。
仕事を引き受けてくれていたときに、傍らで努力をされていたことをその時初めて知りました。

そしてその方のひとことで、私は認定心理士にトライしてみようと思えたのです。

それまで、資格など嫌いでしたし、認定心理士は苦手な統計学やいくつかの分野の単位を取らなくてはいけなかったので、私には向いていないと思っていたのでした。


統計学にとても不安だったときには、先に道を行った先輩がいてくれました。
その頃、認定心理士は卒業研究をやらなくてはいけないと私は思い込んでいました。
私の「卒業研究の申請落ちちゃったし」という言葉に反応してくれたその人は、ちゃんと事務局に確認して書類を見せてくれました。
そして、統計はどうにかなるわ、と言ってくれたのでした。

楽しかった勉学の日々でした。

もう認定書をもらったつもりの、花の香りに酔うような思い出づくりでした。


2014年7月5日土曜日

しそジュース

しそジュースを今年もつくりました。

材料

赤ジソ 一袋
てんさいオリゴ糖シロップ 200g
水 1,5リットル弱かなあ
穀物酢 カップ1
レモン水 50ccぐらい


つくりかた
赤ジソは洗って泥をとり、茎をとって葉だけにしておく
水を沸騰させて、赤ジソを5分ほど入れる
葉が緑になったら鍋から取り出し、葉は捨てる
煮汁に糖類を混ぜ、20分ほど煮詰め、灰汁を取っていく。
最後に酢とレモン汁を加えて、醒めたら容器に入れ、冷蔵庫で冷やす。

薄めのしそジュースなので、そのままでも飲めます。
砂糖はレシピでは500gと書いてありました。

水の量は適当でした。圧力鍋に半分の量でした。


梅のメープルシロップ漬けをつくってみました。

用意するもの

材料

35度以上の焼酎
梅一キロ
砂糖お好み(一般的に300から500グラムでしょうか)

道具

ようじ
炊飯器
梅を入れておく容器

梅は1つずつ焼酎で洗います
出来れば炊飯器のお釜や、ようじ、容器などは、焼酎でキッチンペーパーを使って拭いておきます。

ようじでへたをとります

炊飯器に梅を入れます
糖類をお好みで入れます。
そのまま炊飯器の「保温」機能を押し、5時間以上そのままにしておきます。

私は今回、メイプルシロップとてんさい糖を使いました。量はとても適当で、てんさい糖は調味料容器用スプーンに5,6杯、メイプルシロップは炊飯器のお釜に3まわりぐらい入れました。

三合炊き用で一キロの梅が入ります。氷砂糖を使う場合は、一度に氷砂糖は入れられないので、何時間かおきに、数回に分けて入れることになります。

今回は結局三回つくりました。
3回目は一晩保温したせいか、ぷりぷりっとおいしい梅が食べられています。

メープル入りの梅酢は、炭酸水で割るとおいしいジュースになります。絶品です。

ボランタリーフォーラム東京2018

たまには別方面のことも知りたいと思い、飯田橋で開催されている 「 ボランタリーフォーラム2018 」に行って来ました。 集会のようなものに行くのは久しぶり。少しドキドキしました。 今回、参加したのは一つの分科会。 地域で進めるSDGsーー「誰一人...