2014年11月2日日曜日

整理しておきたいこと

一つの出来事によって、いろんな気づきがあったのですが、この大事なことを二度と忘れないために、ここに整理しておきたいと思います。

●人に何かを伝えるときは、無意識にならないようにする。
 無意識というのは、気を許し、自然に出る言葉。私は根がネガティブなので、つい要らぬ言葉が出てしまうということに気がついたのです。
その人に出会ったことへの感謝が足らなかったのです。
感謝が足らないと、つまり愛情が持てないと、無意識に発したり書く言葉はとても冷たいものになります。
相手の方が本当に親しい人、もしくは、私に対して理解を持ち、言い返して下さるかたならば、私のその時の気持ちを汲んで、そのことに対して進言してくれたり、見守ってくれたりするでしょう。
私はそこに甘んじていたのでした。
私が心から人を好きになって、初めてお会いする人であってもその出会いを大事に思えるようになったら、きっと自然な言葉もすべてに愛情を込められると思いますが、そしてその日が来て欲しいと思いますが、今はまだその段階ではなかったということに気がついたのでした。

このことについて、今までも自覚をうながすような出来事はたくさんあったと思いますが、私は、そのひとつひとつの出来事に無感覚でいたみたいで、ただ犯人捜しをするだけだったのだと思います。
私も、同じだったのに。冷たい心を持った同じ人間だったのに。
ここに気がつくことが出来て、本当によかったと思います。

私は、自分が差別的な心を持った人間だという自覚はあったけれど、それがどこから来るのか、なぜそうなのかわかりませんでした。
今まで障がい者運動や、人権運動をしてきて、そしてプライバシーを守ることについてとてもこだわってきたのですが、ルールのないところで、では私は他の人の尊厳を守れるのか、そこにひっかかりのようなものを感じていたのでした。
今回私の身に起きたことで、身をもって、私は人と出会うことそのものを大切にし、真摯にならないといけない、と心から思うことができました。
こだわりがひどかったのは、私が出来ていなかったから。
人の人権を守るということは、人を愛しているということなんだと思います。私の人権を守って欲しいと思い続けていたのは、私を愛して欲しいと思っていたからなのだと。
私には、人を愛していく(理解していく)力が足らなかったのです。大切なのは愛される事ではなく、愛すること。つまり理解されることではなく、理解していくこと。やっと自覚できたのでした。

そして、身から出たさびは、いい訳などせずに自分で拭き取ることが大切なことだということも学ぶことが出来ました。
だいぶ痛かったけれど、起きたことは取り戻すことは出来ないけれど、自分の行動が発端なので、基本を忘れないようにしたいなと思っています。

これからはたぶん、少し人との付き合い方が変わってくるように思います。
自分の心には自分が栄養をあげないと。いい友と話し、いい環境に出かけ、たくさんいい空気を取り入れたいと思います。

そして私の心ない言葉で、きっと深く傷ついてしまったたくさんの人たちに、報いていけるような心を育てていきたいと感じています。

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 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...