2016年12月31日土曜日

自分と向き合う

今年に入ってしばらく書くことを休んでいましたが、ブログ再開と同時に、チャクラヒーリングを受けました。
ヒーリングルームのブログを兼ねているにも関わらず、このブログには自分の日常ばかり書いてきました。
今回も自分のことになってしまうけれど、チャクラヒーリングを受けて感じたことを少し書いてみようと思います。

少ししか書くことができないのは、まだうまく表現ができないから。
……いや、、、少し違いますね。難しいことは文章を書くことではなくて、自分の心をあらわすこと。
来年からの課題だなあと感じています。


チャクラヒーリングを受けて感じたことのひとつは、自分がごうまんでしかなかったということ。謙虚な心が少しもない人生を歩いてきたということでした。

気づくということは、閃きのようなもので、何かをわかろうとしていた時は本当に何もわからなかったことだなあと思います。
そして、気づくことだけでは足りなくて、気づいたことから自分がどうするかを考える必要があるのだと感じました。

もうひとつは、自分が何を目的にして生きていきたいのかをきちんと持つことの大切さです。
それがないと人の考えに心が揺れて、物事を鵜呑みに信じ込んでしまったり、流されるままに生きていってしまったりします。
それはまわりにとって悪影響になります。

自分の生きる目的をはっきり持ち、ひとつひとつの日々の出来事を心で受け止めて生きること、感情(情動)のままに動くのではなく、感じた感情を大切にしながらそのできごとがどういうことなのか、自分は何をするべきなのか考え、自分なりに行動に移すこと。その経験を積むことがとても大事なのだと感じました。

そして、私の生き方に足りなかったことは、
「幸せを願う」
という姿勢でした。それは、愛情という視点がなかったということです。
謙虚さがないということは、自分のことしか考えていないということで、いつでも自分のことを考えているだけでは、人の視点を想像できません。自分しかわからないので、自分にしか愛情を持てません。

人の幸せを願うということは、その人にとっての幸せは何か、自分はそこにいることで何ができるのか、などということに想像をめぐらすことになります。

例えば私は毎日、介助の人から支援を受けて生活しています。
私はそのことに感謝はしていたけれど、一人一人会う人の幸せを願っていたかと聞かれると、それはできていなかったように思います。

確かに、少しでも介助が楽になる方法を工夫したり、介助を通して深まっていく人間関係を大事にしていました。
でもそれは、私目線のものばかりだったように思います。

幸せを願うということは、もっと広く物事を捉えることも大切なことのように思います。具体的に何ができて何ができないなどと判断するのではなくて、障害があるからできないとかできるとかそういうことではなく、視点を持って日々考えていくことが、私にとって必要なことのように思えたのでした。



いつかこのブログでももう少し表現ができるようにしたいけれど、今はここまでしかまとめられません。
たくさんたくさん、あるのだけれども。

ここまでの道のりを導いてくださった恩師、日々関わってくださったたくさんの方々に感謝しながら、また歩き出そうと思います。
来年はもう少しいろんなことを書けるよう努力したいなと思います。

今年もあとわずかになりました。
拙い文章で失礼いたしました。
みなさま、今年もありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

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お世話になっているヒーリングルームのホームページとブログは下記です。
(このブログのサイドにもリンクしてあります。)

Medicine Wheel

魂のカルテーーSpiritual Case File


2016年12月30日金曜日

チェアメイト

昨年から、30日は実家に介助の方と日帰りで帰っています。

自宅からだと思いの外時間がかかるもので、普段の交通の便の良さ、恵まれた環境を感じます。

今年はバスも含めてコースを考えてみたけれど、東京を離れるとノンステップバスは極端に少なくなります。大都市ならば都外でもかなりの割合で車椅子が昇降可能なバスが走っていますが、実家のある街はそうはいきませんでした。

なのでいつものルートで帰ることにしました。

実家のあるまちの最寄駅は、小さなモノレールような電車の駅。まだエレベーターもなくて、チェアメイト(キャタピラ式昇降機)を使います。

以前は前日予約でないと乗れませんでしたが、最近はそんなこともなく、改札に伺えば対応してくださるようになりました。

新幹線に沿って作られた乗り物なで、ホームはとても高い位置にあり、昇降機でもなんども階段を越えていかなければなりません。

今日久しぶりに伺ったら、この路線でエレベーターのついていない駅は3駅だけになったとのこと。

すごーい。

そして来年末には実家の最寄駅にもエレベーターがつくのだそうです。

すごーい。

つけてくださいってたくさん要望したこともあったし、駅員さんが大変なのわかっていて、あえて使っていた時代もあったのに。

すごーい。

来年はこのチェアメイトにも乗らないんだと思うと、時代を感じるひとときでした。


まちも一年に一回しか行かないと変化が激しくて、実は私、行きは道に迷いました。
方向音痴だからよくあることだけれども。

たまにしか帰らないのが一番いけない気もします。はい。


チェアメイトという昇降機が時代の中に消えていく…。そんなことを感じた年末でした。

2016年12月24日土曜日

想定外

なぜか、想定外なことがつづく。
例えば、エレベーターあり、と書かれた建物に行ったら、エレベーターの前に3段ぐらい段差があったり。

今日は、友人のところに見舞いに行こうと、地図も印刷して用意周到で行ったら、病院が今月から移転していて、地図が古かった。検索の仕方が悪かったのか、同じ名前で古い地図が出て来るなんて。

ああ、ほんと、リサーチミス。

なんだかすったもんだしている。

その度に介助の方に助けられ、会いに行った友人とはめっちゃ楽しくて、なんだか変に充実している。

やっぱり、いろんなことを想定しないといけないね。

例えば、都心なのだから「エレベーターあり」の案内を鵜呑みにせず、いろんな場合を考えて最後まで詰めること(特に銀座とか老舗が多いところは。もちろん「車椅子運びます」と言ってくださるところが多くてありがたいけれども)。

地図検索は目的地のホームページからたどり着くように心がけること。

最新情報かちゃんと確かめないと、いたい思いをしますね。


反省。

でも、とにかく会いたい人に会いに行けてよかった。

介助の方を、その度に振り回している感じがしていて、その都度悩みながらなんだけれども、感じ方が少し、私と違うことも、昨日は発見でした。
立ち位置が違うって、感じ方も違うんだと実感。
ほんとうに助けてもらいました。

いや、実のところ十分介助の方を振り回していると思います、最近の私は。
反省。

2016年12月23日金曜日

障害と向き合うーー心理カウンセリング

自分の障害と向き合う、ということは、ピアカウンセリングを通してやってきたことではあるのですが…。
今年まるまる一年、別の視点から向き合う時間を作ってみました。
正確には一年と二ヶ月。心理カウンセリングという方法でです。

数年前に大学で臨床心理の科目を取得するうちに、いつか50分間のカウンセリング時間を体験してみたいとは思っていました。
自分がクライエントとして体験することになるとは、その時は考えもしませんでしたが。

カウンセリングの経験があるので、今回はその経験の視点から、せっかくの時間を有効に使いたいと思っていました。
月二回のセッション(途中月一にもしてみましたが、月2回で落ち着きました)、カウンセラーは同じ方。某大学で受けさせていただきました。

クリニックに行かなかったのは、診断を受けたくなかったから。
治療したいのでなくて、自分の障害を理解したかった。それだけだったのです。

ただ自分だけではどこをどう考えていいかわからなくて、誰かの視点をお借りして、一緒に考えたかったのでした。

その大学の方々は、私の趣旨をとてもよく聞いてくださり、インテイク(最初の面接のようなもの)では、もしかしたら経験不足なだけかもしれないという見解をいただきました。
一緒に向き合っていきましょうという言葉は、不思議な安心感がありました。

この期間でわかったこと、それは、
私がどんな障害であってもあまり関係ない。だから変わらずいきていけばいい、ということでした。

障害にこだわっていたのは、視野の細い穴に入ってしまっていたのは、私自身だったのです。

ある日のカウンセリングの後、たとえ身体障害だけが私の障害ではないとしても、私の目の前の課題は変わらない、ということに気がついたのでした。

もしかしたら自分から、「身体障害以外の障害が自分に認知できたら、空気の読めないことも他の自分の課題も、どこか少し手綱を緩めても許されるのではないか」という思いがあったように思いました。
でもそれば違って、私の課題は何も変わらずそこにあり、多分障害の名前が追加されたとしてもそこにあり続けるのだろうと自覚したのでした。自分でその課題のことを考えて行かない限り、ずっとずっと。

そう思ったときに、どんな障害があろうと私にとっては関係ない、私の人生を生きるにあたっては関係ない、と思えるようになったのでした。

障害名が変わらない今でも、私は経済活動をうまくできないし、でもものすごく日々をサボっているわけでもない。才能があるわけではなく、人間としての幅は今の環境以上のものではない。現実をうまく受け入れて、自分の日々を豊かにしようと努力しなければ、物事は何も進展しない。そのことに気がついたのです。

障害のことに向きあいたくてお願いした時間でしたが、どんな障害でもいいんだと納得できたことで、カウンセリングの時間は卒業しようと決めることができました。

自分のことを、知らない人に話していくこと、それも毎回とても長い時間話すということは、とてもいい体験となりました。

心理カウンセリングでは、カウンセラーはクライエントの気持ちを理解していくために聞くんだということを学びました。話の筋道を理解するということは相手を理解することに繋がるのだということも。

心の課題はあちらこちらに見えてはきたけれど、それに取り組むのは機が熟したときに。
今は一区切りを味わおうと思います。

2016年12月19日月曜日

長いおつきあい

半年ぶりに友人が板橋まで来てくれた。
彼女とはカラオケ好きという共通点があり、時々二人で歌いまくる。

このような時、それぞれについてくれる介助の方は、サポートに徹してくれることになる。

もうお互いに何を歌うかはわかりきっているので、それぞれ好きな歌に集中する。
たまに互いの持ち歌を入れあって、互いの表情を見ながら歌ったりもする。

「長い付き合いになったね」という話題になり、出会いの頃を思い出して見た。
彼女との出会いは1999年12月。私は東京に越して、職場を変えた頃だった。

「1999年だよ」と彼女に言いながら、そんなに時が過ぎたんだな、と改めて思った。
友人とは、私が障害者支援の仕事をしていた時に知り合った。仕事を辞めても変わらずに付き合ってくれた、人だ。


今月はお別れする機会もある。
介助という仕事をやめると、その方が決めた時、それはお互いにとって「別れ」になる。
もちろん、お仕事を離れてもおつきあいが続けられる場合もある。でもそれができるかどうかは、介助という仕事が介在しなくなった後、お互いがどうしたいかということなので、今私がこうしたいとか決められることではまったくない。それは経験上、よくわかっている。だからこそ、ちゃんと別れることは大切なんだと思う。

私は甘い人間だから、「介助を離れても関係性は変わらない」などと勝手に考えて、また会えるのだからお別れなんて言わない、と思っていたこともあった。そういう時はちゃんと感謝の気持ちも表しきれないまま、その後にお会いする機会も逸していくということもあった。

立場の違いを、私は認識していなかったのだった。


介助を通して月に何回もお会いしていた関係が変わるということは、いつ会うかも自由になるということ。やっぱりそれは、大きな環境の変化なんだと思う。

お仕事で会いに来てくれて、私を支えてくれた人。
だんだんと理解してくれた人。

色々なことが、別れということを通して心を巡っていく。
だからこそ、別れるときはちゃんと別れることをしたいと思う。

本当に本当に、いい時間だったからこそ。
かけがえのない日々だったからこそ。

その方といつかまた出会いますように。
そのときは、話の花が咲きますように。

どうぞ、幸せでありますように。
感謝を込めて。


2016年12月14日水曜日

午後に見た夢

予防接種後、ものすごく眠くなってあっというまに時間を過ごしてしまいました。
その時に見た夢です。

家を出ようと思ったら、妹が衣服を整理していた。どうするの?と聞いたらまとめて寄付をするという。それなら私も寄付したい服があるから一言言って欲しかった、と思いながら家を出る。隣の家を通り過ぎると友人がその家に入っていくところ。「お隣さんと共同して申請すればいい…」と声が聞こえて来る。なんのことかなと思ったら、どうやら公的設備を直すことらしく、「あなたは話がわかると思って」とその友人に言われた。友人は金色の背広を着ていた。
なんのことだろうと思っていたら、みしらぬ高齢の男性、仙人みたいな人が、私の車椅子を後ろ向きにして前輪をあげて、すぐそばの階段を引っ張り上げてくれた。その階段は大きくて幅のある、神社にあるような厳かな雰囲気の白い階段だった。途中で踊り場があり、直角に続いていた。
階段を登りきると、晴れやかな気持ちになった。よく見ると登りやすいように、階段に小さな段差解消のスロープが付いているものが多かった。これは多くの人に助けられたんだと感じた。空は青くはなかったが、澄み渡っていた。ここで目が覚めた。

記憶に残る夢でした。

好きな歌詞 ーートモエ学園ーー

福山さんの歌は、好きな歌もあるけれど、あまりハマらないのですが、この歌はとても好きです。 「窓際のトットちゃん」の本も好きだったけれど、トットちゃんの世界を別にしても、とても心にしみる詩です。 子供目線が少し入るから、優しくわかりやすい詩になっています。 いい先生や、友...