今は突然の雷雨。
数年前から冬が過ぎると天候が激しくなるということを、思い出しました。
もう昔のやわらかな春は来ないかと思うと、今日はなんだか寂しい気がします。
毎日雷雨というわけではないだろうから、穏やかな日はそんなことは思わないのだろうけれども。
「春雷」という言葉もあるし、昔から春に雷もあったとは思うけれど、どうも夏のイメージが私の中で強いせいか、違和感を感じてしまいます。
今日、歩きながら気づいたことは、
日々の中の出来事は、私に謙虚になれということを教えてくれているのだということでした。
今まで、私に上から目線で接してくれる方や、
それはきっと偏見から来るな、と思うような態度を人からされた時、
どう正してもらうか、どう言ったらその視点をやめてもらえるか、ということばかりを考えたりしていたのですが、
それは違うんだ、と思ったのです。
私は、相手の方の行動を正そうとするのではなく、それでも受け入れてそこから学ぼうとすることが必要だったんだと気がついたのでした。
伝えたいと思うということは聞こえがいいけれど、実は私はその方を指導したいと思っていたのかもしれないと感じました。
そこが奢りだったんだと。
私が今学ぶ必要があることは、自分の中にある傲慢さに向き合い、捨てていくことで、人の生き方に物申すことではない、ひとつひとつの状況から、見えるものを理解することが先ず必要なんだと。
相手の生き方は相手の生き方だから、もし何かに気づかなくてはいけないのだったら、その方がわからなくてはいけないこと。自由な意思の中で、たどり着く必要があること。
もちろん自分の気持ちも大切だけれど、一つ一つの出会いや出来事に、もっと真摯になろうと思ったのです。
何かを批判的に見る前に、その出来事が私のなにに響いて、印象深くなっているのか、理解していくことが大切なんだと思いました。
その上で伝えたいことがあったら伝えてみようと。そう思ったのでした。
私がこの人生で何を身につけてきたかを思い返せば、いまだ何かができる人間ではないことが自分でもわかります。私は今は、自分の心を育てていかなければなりません。人の生き方に何を言える人間ではないし、そもそもそういうことを思うこと自体が私の中にある差別意識なのです。
それを理解するための、日々でもあったんだと思いました。
わかった上で、伝えたいことは伝えて見ること。それも大事なのだと思いました。
わかってほしいという気持ちではなく、物事を消化した上でその方に伝えたいことを話してみるということです。
伝わった時は、本当に嬉しいです。わかってくれたことに感謝の気持ちがわいてきます。それを今日も体験したのでした。
…いつも理想通りには生きられませんけれど、それはそれということで。