10代の頃、生活していた肢体不自由児施設で、年上の友人から勧められて詩を書き始めました。
その時から詩を通して、生きるということを文字にあらわし始めました。
それはそれは拙くて、詩と言えるものでは世間的には言えない、未熟な作品しか今でも書けないけれど、
詩は自分をあらわしていく手段でもありました。
新聞など、投稿欄に出し続けた時期もありました。
背伸びをしたり、知ったかぶりをした作品は、必ず、作品としてはボツになりました。
生きるということを詩に求めないで歩き始めたのは、30歳を過ぎた頃です。
仕事を通して、自分の表現をする場所が増えて、伝えることで返ってくる責任も、少し感じるようになりました。
詩だけでなく、書くことが怖くなってきたのは、40代後半になってから。
自分はものを知らないということに、うっすらと気づき始めました。
詩の中ではなんでも書けたけれど、果たして自分はどれほどの経験をしたのだろうか、
そもそも私にできる経験とはなんなのだろうか、
最近、そんなそこはかとない悩みに一つの答えが見つかりました。
私の生きる意味とは、
自分の弱さや、物わかりの悪さ、ともすると暗く考えがちな癖を自覚して、
視野を自分以外の世界に広げて考えようと努力するところにあるのではないかということ。
それが自分に対する、自分が与えられるギフトではないかということです。
誰かに認められたいとか、何かができる自分でいたいとか、いい人間に見られたいとか、
そう言った思いを先に持ってしまう人間であることを自覚して、
何も身についていない現実を受け入れて、
少しでもいい思考のできる人になろうとすることです。
人一倍努力をしても、理解力が本当に遅いことも、私の特徴なのだと。そこをバネにして少しずつでも成長しようと諦めないことが、一番大事なこと。
たどり着いた私の生きる意味。
大切にして生きていきたいと思います。
いつか、大好きな人たちの、力になれる人間になれるように。